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マイントピア別子は平成3年(1991年)6月に別子銅山の跡地を活用し観光施設としてオープンしました

マイントピア別子は大きく分けてエリアが2つあります。1つ目は端出場(はでば)エリア、2つ目は東平(とうなる)エリアです。

日本三大銅山のひとつである別子銅山の歴史は、遠く元禄4年(1691年)の銅山峰南斜面における住友家の開堀より始まります。世界でも稀にみる大鉱床は、海抜1,291メートの山岳部から地中深く貫入する鉱床であり、総出鉱量は、約3,000 万トン、産量は約72万トンにも及び、主要道の道長は約700キロメートルにも達するほどです。江戸時代には、長崎での海外貿易の決済用に供給され、幕府の財政を支える一方で、明治以降は、今日の住友諸事業の礎となり、地元工業都市新居浜の発展はもとより日本近代工業化の発展にも大きく貢献してきました。

しかし、昭和48年(1973年)には、海面下約1,000メートルの深部に至り、著しい地圧の増大と地熱の上昇により江戸、明治、大正、昭和の4時代、283年の長きにわたる歴史を閉じ、遂に閉山に至りました。

緑深く、静かな旧別子山中の巨大な産業遺跡の中で鉱山の歴史と壮大なロマンへの旅・・・。




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